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改めて区別をつけるなら、会話選択と場所選択という最低限のシステムで成り立つものと、それ以上のもの、というかんじ?
プログラムがまったくわからんから何か頓珍漢だ。アマガミあたり、表層としてはすごく単純で分かりやすいけど、システム自体は凄い凝ってるだろうことは門外漢にもわかるし。単純な選択自体にすごく凝ってるから、ストーリーが一本道にならないのか。この辺もっとうまくいえないものか…
私はあんまり「一億総中流」を絶対視してない。一億総中流を実感してたのは、郊外の団地に住み、終身雇用と年功序列の中で働いていた人間で、総中流化といわれていた時期にあって、そうでないひともたくさんいたはずなのだ。格差社会といわれ始めて久しいが、根本的に変わってる気がしない。マスコによって声高に叫ばれる「格差」には特別な意味づけを感じる。事実、彼らがその問題を特集するとき、常にストーリーは同じだ。企業の歯車として使われ、無慈悲にも切り捨てられた派遣契約の人々。不景気によるリストラ。これらはかつて中流に身を浸していたモーレツサラリーマンのフィールドでの話だ。
話がそれた。山野一による「四丁目の夕日」は救いの無い話である。貧困と不幸で打ちのめされる話である。そしてこの物語は常にいわゆる「一億総中流的優雅さ」との対比で描かれる。それ故に、尚更残酷である。これを読んで、一億総中流という夢物語からは醒めていただきたい。貧困の残酷さは常に隣にあった。そして今も。いつだって社会が孕んできたものなのだ。
何より、将来的に母国語で書かれた知的財産を自国で保有できなくなるんじゃないかという危惧が強い。
紙には勝てんよという方も多いし、俺もそう思うけど、電子書籍は端末自身も確実に進化するはずで、携帯電話が肩掛け鞄みたいなものからアイフォンぐらいまで変化したぐらいには改良されるだろう。それがどんなものなのか想像も出来ないけど、確実にその変化を起こす素地となる技術は開発されているし、これからもされていく。そうなったときに果たしてそれでも「紙が一番」といえるか、俺はすこし自信が無い。
電子書籍が売りとしているポイントは確実に消費者にとって需要があるだろうし、なによりコンテンツを作る側にも高い印税というなんとも分かりやすいメリットがあるから、今でこそ保守的な人も、近い将来一気に電子書籍にシフトすることも考えられる。
ただどうしても当面電子書籍が達成し得ないだろうことが、本につつまれる空間をつくることで、空間的な制約がある以上不可能といっていい。ARが普及すればわからんがね!
ま、日本の出版業界の対応の鈍さを批判するのも最もだが、今更日本がこの分野でリーダーシップ取ることはないだろうし、いかにコンテンツを黒船から保護するかを考えていただきたい。資本主義はえげつないから。
あと出版不況加速云々だけど、関係ないと思う。端末が規模の経済で単価が安くなって拡く普及しない限りは。本を読まない人間は変わらず読まない。そういうひとが触れるコンテンツ(雑誌、新聞)は当分この影響を受けないハズ。そこらへん数を売ってナンボだから、広まらないことには始まらない。マンガに関しては日本は特殊だと思うし、なによりまだ電子書籍は始まったばかり。不況っていうなら、そりゃ単に魅力がないだけさ。
追
今おもったけど、掲示板みたいな巨大ディスプレイがいっぱいある、コンテンツ紹介場みたいなスポットができれば、本につつまれた空間=本屋の再現ができるじゃないか。基本情報が本の背表紙みたいに映っていて、手持ちの端末を近づけると自動的に一時ダウンロードされてコンテンツの確認が出来る。気に入れば買えばよし、いらないならそのまま離れる。そうすると自動的に一時ファイルは削除されて、感覚は立ち読みに近い。注目の新刊などは、より大きく、混雑しても差しさわりがないような位置のディスプレイに情報を多めに載せ、人々はその下で自分の端末を見ながら新刊をチェックする……。時間制限を利用して情報を消すのもいいな。
おもしろい!
そもそも電子書籍が普及すると、今まで埋もれていた良質なアマチュアによるコンテンツも日の目をみるから、絶対楽しいと思うんだよね。ネットを利用してそういったコンテンツを有志で広告うってしかる場に紹介したり。ニコニコ動画が今やってることに近いかな。自分が面白いと思ったものは利他的に紹介したくなるし。こうなると今の大手もそれ以外も、「良質なコンテンツを配信できるか否か」唯一つが評価基準になりそうだ。つまらなければ大手でも容赦なく堕ちる時代……スリリングだなあ。
恋愛シュミレーションゲームと恋愛ノベルズゲームを分けねば、と思ったその後、すこし、頭の整理をば。
ときメモに代表される恋愛シュミレーションゲーム。ナンパゲーとは言い得て妙なり。誘ってナンボ。デートしてナンボ。爆弾(主人公が他の女の子と関わるのは看過する。主人公を通した他ヒロインとの関係というのは事実上皆無。爆弾は消せばそれで元通りになる。ヤンデレ的な疑心暗鬼も嫉妬もここにはない。ただの「構って」サインに近い。)消してナンボ。エンディングが告白。全体に漂う仲良し空気。
kanon、To Heartに代表される恋愛ノベルズゲーム。共通ルートと個別ルートを分ける「分岐点」が存在する上にそのシナリオ性も災いして、「だれか一人を選べば他のヒロインが報われない」状況が発生する。個別ルート途中で恋仲になること多し。それでも漂う仲良し空気。
ここで恋愛ノベルズゲームであるにも関わらず異質なのがスクールデイズに代表されるヤンデレという要素。一人を選べば他のヒロインが報われないのは同じだが、仲良し空気を否定する。故にトゥルーエンド唯一つを除き基本泥沼になる。
他に東浩紀が言及したYUNOなんかも特殊事例。
最近の恋愛シュミレーションゲーム
アマガミ→ナンパゲーを踏襲しつつもイベントチャートの存在がおもしろい。好きBADエンドも興味深い。
ラブプラス→分岐の概念がないという特殊。同時性とか、携帯ゲーム機ならでは。
ときメモ4→都子というスペシャルケース。恋愛シュミレーションゲームに恋愛ノベルズゲームの産物「ヤンデレ(それでも私を愛して)」を組み込むとどうなるかという実験?爆弾システムとヤンデレの相性や如何に。
大抵の美少女恋愛シュミレーションゲームってシナリオ=キャラだと思うんですよ。共通ルート→各キャラへ分岐が神様の法則としてあるわけです。一度個別ルートに入れば最早逸脱はできない、まさに一本道。ノベルズゲーでもある故の宿命。keyのkanonやleafのTo Heartでこの流れは不動のものになって、今に続くわけです。
で、なんとなくアマガミを考えてみたんですが、アマガミってシナリオ=キャラって言えるほどの強いシナリオが無いんです。主人公の、「クリスマスに女の子と過ごす」って目標が共通してあるぐらいで。それよりキャラを印象付けるのは個々の単発イベント。アマガミのシステム上、イベントチャートなるものがあり、それは個々のイベント情報が蜂の巣上に繰り広げられていて、イベントを達成すればマークがつくのですが、これは面白いシステムで、一般的なギャルゲがゲーム全体で攻略キャラ分のパターンしかない(直線的かつ不可逆的)のに対し、アマガミは攻略キャラの攻略を一本道にせずにイベント単位まで分解してしまう(平面的、選択的)ことで、一本道化を避けているのです。しかしこれは同時に強い物語性の排除でもあります。が、現にアマガミは大ヒットしてるわけで、最早売れる美少女ゲームはシナリオによる「泣き」の要素を含まないでもいいのかもしれません。シナリオ勝負というよりまさにキャラ勝負。キャラ萌えに必要な最低限だけをクリアした、キャラ萌えに特化したゲーム。東浩紀的にいえば、もうあらかじめデータベースに近い形で提供するってとこかしらん。
ラブプラスの大ヒットや、ときメモ4のヒットも何か示唆的であるように思います。金と時間と人員をかけることができるコンシューマーゲーの逆襲といったとこでしょうか。
そもそも恋愛シュミレーションゲームと恋愛ノベルズゲームは違うか。ギャルゲーとか美少女ゲー(18禁含)といってしまうと全部ごっちゃになるからなあ。ちゃんと使い分けたほうがいいな。

