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私はあんまり「一億総中流」を絶対視してない。一億総中流を実感してたのは、郊外の団地に住み、終身雇用と年功序列の中で働いていた人間で、総中流化といわれていた時期にあって、そうでないひともたくさんいたはずなのだ。格差社会といわれ始めて久しいが、根本的に変わってる気がしない。マスコによって声高に叫ばれる「格差」には特別な意味づけを感じる。事実、彼らがその問題を特集するとき、常にストーリーは同じだ。企業の歯車として使われ、無慈悲にも切り捨てられた派遣契約の人々。不景気によるリストラ。これらはかつて中流に身を浸していたモーレツサラリーマンのフィールドでの話だ。
話がそれた。山野一による「四丁目の夕日」は救いの無い話である。貧困と不幸で打ちのめされる話である。そしてこの物語は常にいわゆる「一億総中流的優雅さ」との対比で描かれる。それ故に、尚更残酷である。これを読んで、一億総中流という夢物語からは醒めていただきたい。貧困の残酷さは常に隣にあった。そして今も。いつだって社会が孕んできたものなのだ。
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